第7期 砂で世界旅行・ロシア編 ~大国の歴史と芸術の都を訪ねて~

「クレムリンとワシリー大聖堂」や「エカテリーナⅡ世」などを作品モチーフに、ロシアの歴史や芸術を表現した23体の砂像を制作展示。
茶圓勝彦氏をプロデューサーとし、海外から19名の砂像彫刻家が参加し、制作にあたった。

氷河に眠るマンモス

氷河に眠るマンモス

約1万年前頃に絶滅したといわれているマンモス。大きな牙が特徴で、長い毛におおわれたケナガマンモスがよく知られている。様々な種類があり、その生息域は広く世界に分布していた。また、シベリア(ロシア)の永久凍土からは氷に閉じ込められたマンモスが度々発見されている。作品は、かつて同じ時代に生きた私たちの祖先によるマンモス狩りの様子を想像して制作した。 砂像彫刻者:Karen Fralich(カレン・フラリック)/カナダ

リューリク -建国のヒーロー-

リューリク -建国のヒーロー-

ロシア原初年代記(過ぎし年月の物語)によれば、9世紀頃、リューリクをはじめとする3人の兄弟がバルト海を渡り北ロシアへやってきて、ノブゴロドの街を統治した。やがてリューリクの死後、一族はオレーグとイーゴリを中心にドニエプル川中流域まで南下する。その地域には東スラブ諸種族が共同体を形成していたが、オレーグとイーゴリによって統治され、キエフ大公国がつくられた。現在に伝わる建国伝説の一つである。作品は、リューリクが川をさかのぼって上陸し、その土地の人々に受け入れられるシーンを表現している。 砂像彫刻者:Dmitry Klimenko(ドミトリー・クリメンコ)/ロシア

キリスト教の受容

キリスト教の受容

988年、キエフ大公国リューリク朝のウラジーミル1世がギリシャ正教の洗礼を受けた。洗礼以前にウラジーミル1世は、イスラム教、ユダヤ教、カトリック、正教の宣伝を受けたが、大公国の生活習慣などが正教を選択するうえで大きな要素になったと伝えられている。こうして受容されたギリシャ正教は、1453年のコンスタンティノープル陥落以後、自立したロシア正教として更に発展をとげることとなった。作品は、ウラジーミル1世が人々をドニエプル川に浸からせ、洗礼をしているシーンを表現している。 砂像彫刻者:Eva Suzuko Mcgrew(エヴァ・スズコ・マクグリュー)/アメリカ

豊かな民族性

豊かな民族性

ロシアは国土が広大であると同時に、その豊かな民族性も大きな特徴の一つである。現在では1億4000万人以上の人々が暮らすが、スラブ民族系のロシア人、非スラブ民族系のタタール人、ウクライナ人、など数々の民族で構成されており、いわば多民族国家である。作品の前列に配置されているマトリョーシカ。1900年のパリ万博をきっかけに世界で広く知られることとなるが、そのデザインはロシアの民族性を豊かに表現している。 砂像彫刻者:Yan Lidong(ヤン・リドン)/中国

タタールのくびき(モンゴル人支配の時代)

タタールのくびき(モンゴル人支配の時代)

タタールのくびきとは、13世紀前半以降ルーシがタタール(モンゴル)の支配を受けていた約400年間のことをいう。当時のルーシは、西方のスウェーデンとドイツ、東方のモンゴルにはさまれていた。ルーシは西方に対しては戦いを挑み、強大な軍事力を誇る東方のモンゴルに対してはその支配を容認していた。その背景には、西方諸国は支配にともない他宗教への改宗まで求めるのに対し、モンゴルは宗教や文化には寛容で、税さえ徴収できればいいという考え方があったためといわれている。作品には、ロシアの人々がマーケットに来たタタールの徴税官に貢物を献上している様子も表現している。 砂像彫刻者:Brad Goll(ブラッド・ゴール)/アメリカ

コサックの力

コサックの力

コサックとは、15世紀から16世紀頃、落ちぶれた貴族や農奴制を逃れた農民によって形成された軍事的集団で、その起源には諸説がある。コサックは時に保護国の軍事力となり、16世紀後半に行われたイヴァン4世(別名「雷帝」/ロシア)のシベリア侵攻はコサックによって実行された。リーダーのイェルマークは、シビル・ハン国を攻略し、ロシアのシベリア侵攻および征服の力となった。作品は、騎馬による戦いを得意とした当時のコサックの象徴的な戦いの場面を表現している。 砂像彫刻者:Alexey Shchitov(アレクセイ・シチトフ)/ロシア

ピョートル大帝と西欧化

ピョートル大帝と西欧化

ロマノフ朝5代目のツァーリであるピョートル大帝。バルト海域に覇をとなえ、ロシアをヨーロッパの強国に押し上げたといわれる。当時、オランダやイギリスなどへ使節団を派遣する際に、自身もその一員となり参加した。大帝はヨーロッパから造船技術や航海術などを積極的に取り入れてロシアの西欧化を図り、18世紀前半の大北方戦争の勝利後、国家名をロシア帝国とし、自身が初代皇帝となった。帝国の首都であったサンクトペテルブルグは、大帝が西欧文化の影響を受けて造り上げた街である。 砂像彫刻者:David Ducharme(ディビッド・ドゥシャーム)/カナダ

エカテリーナⅡ世とロマノフ王朝(中央部分)

エカテリーナⅡ世とロマノフ王朝(中央部分)

17世紀初頭から約300年続いたロマノフ王朝。啓蒙君主であるエカテリーナⅡ世の時代には軍事力によって領地を拡大し、ヨーロッパにおける存在感を高め、王朝は黄金期を迎える。エカテリーナⅡ世は、領地拡大政策だけでなく、広大な国家をより効率的に統治するための国内政策にも力を入れた。地方改革をはじめとし、社会福祉局や初等教育機関の設立なども進めた。また、厳しい農奴制の中、農奴制廃止を掲げるプガチョフの乱が起こるがこれも鎮圧する。作品は、農民やコサックたちを率いて反乱を起こしたプガチョフが、エカテリーナⅡ世に捕えられた場面である。文化的側面においては、自らが収集した絵画や彫刻などの美術品を収蔵するために小エルミタージュの建設も行い、それらは現在のエルミタージュ美術館の起源となっている。 砂像彫刻者:Ilya Filimontsev(イリヤ・フィリモンツェフ)/ロシア

エカテリーナ宮殿(両側部分)

エカテリーナ宮殿(両側部分)

18世紀初頭に建築され、以後増改築を繰り返して現在に至る。宮殿は、ピョートル大帝の后でもあったエカテリーナⅠ世にちなみ「エカテリーナ宮殿」という。後に、エカテリーナⅡ世が夏の離宮としたことから「夏の宮殿」とも呼ばれる。全長は300m以上あり、建物内部には50以上の部屋がある。きらびやかな内装には多くの金が使われ、中でも「琥珀の間」が有名。 砂像彫刻者:Joris Kivits(ヨーリス・キヴィッツ)/ポルトガル

クレムリンとワシリー大聖堂

クレムリンとワシリー大聖堂

ロシア帝国時代の城塞・宮殿であるモスクワのクレムリン。モスクワ川沿いにあり、ロシア帝国の時代から政治の中心として存在し、現在にいたる。クレムリンは、赤の広場とともに1990年に世界遺産になっている。その赤の広場に立つロシア正教の聖堂である聖ワシリー大聖堂。16世紀中頃、モスクワロシアのツァーリであるイヴァン4世(別名「雷帝」)がカザン・ハン国に勝利したことを記念して建立された。モスクワの象徴的な建物である。 砂像彫刻者:Leonardo Ugolini(レオナルド・ウゴリニ)/イタリア

ロシアイコン

ロシアイコン

イコンとは、イエス・キリストや聖人、天使、聖書の内容、などを描いた絵のことをいい、その多くは平面に描かれる。ロシアイコンはロシア正教の象徴的なものでもあるが、イコンそのものが信仰の対象ではなく、イコンに描かれている世界そのものが信仰の対象である。イコンの中でも作品中央に配した「ウラジーミルの生神女」は最も有名なイコンの一つである。 砂像彫刻者:Leonardo Ugolini(レオナルド・ウゴリニ)/イタリア

ロシアの音楽 -チャイコフスキーとバレエ-

ロシアの音楽 -チャイコフスキーとバレエ-

19世紀後半に活躍した作曲家であるチャイコフスキー。「白鳥の湖」「くるみ割り人形」「眠れる森の美女」などのバレエ作品は、チャイコフスキーの音楽とフランス人の振付によって完成された。それまでは踊りのための伴奏でしかなかったバレエ音楽を、芸術として確立させるべく創作したといわれる。他にも「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」など多くの名曲を後世に残した。その音楽は世界中で愛され、今でも多くの人を魅了している。 砂像彫刻者:Susanne Ruseler(スザンヌ・ルセラ)/オランダ

ロシアの文学 -トルストイと作品「戦争と平和」-

ロシアの文学 -トルストイと作品「戦争と平和」-

ドストエフスキーやツルゲーネフと並び、ロシア文学を代表する作家であるトルストイ(1828年~1910年)。その著書である「戦争と平和」は、貴族をはじめとするロシアの人々の様子を、ナポレオンによる侵攻と撤退の歴史背景をもとに描いた一大歴史長編小説である。作品は「戦争と平和」の一場面で、モスクワ大火による混乱の中、街を離れる人々の様子を表現している。 砂像彫刻者:Jill Harris(ジル・ハリス)/アメリカ

ナポレオンの撤退

ナポレオンの撤退

19世紀初頭に行われたナポレオンによるロシア遠征。その大軍は退却するロシア軍を追随し、いったんはモスクワを占拠するものの、街は焼き払われ、市民は街を離れた後だった。ナポレオンは降伏を要求したが、ロシア側と接触することができず、やがてモスクワに厳しい「冬将軍」がやってくる。やむなくナポレオンは撤退を決断するが、そのさなか期をうかがっていたロシア軍に攻撃され、最後は数名の側近とともにパリにもどる。これをきっかけにしてナポレオンの勢力は衰え始めることとなる。ロシアが自国を守りきった戦いでもある。 砂像彫刻者:Thomas Koet(トーマス・クォート)/オランダ

モスクワの地下鉄を彩る彫刻

モスクワの地下鉄を彩る彫刻

1931年以降に建設されたモスクワの地下鉄。その駅には、美しい装飾、彫刻、彫像などがあふれ、地下鉄でありながら美術館のような雰囲気を感じることができる。左側の作品は農家の少女の様子、右側の作品は狩りに向かう青年の様子を表現している。 砂像彫刻者:Yan Lidong(ヤン・リドン)/中国、Zhang Yan(チャン・ヤン)/中国

ロシアの大自然

ロシアの大自然

ロシアの国土の多くをしめるシベリアは、夏と冬の気温差が大きい地域である。オイミャコンでは氷点下50度以上下がることがある一方、夏は30度を超えることもある。シベリア北部の高緯度地帯には樹木の生育が難しいツンドラが広がり、永久凍土層が広範囲に存在する。シベリアには、シベリアオオカミ・トナカイ・オオワシなどが生息している。中でもツンドラに生息しているトナカイは、古くから家畜として飼われ、ソリ引きなどにも重宝されてきた。 砂像彫刻者:Michela Ciappini(ミケーラ・チャピーニ)/イタリア

シベリア鉄道と極東の都ウラジオストク

シベリア鉄道と極東の都ウラジオストク

チェリャビンスク駅からウラジオストク駅を結ぶシベリア鉄道。一般的にはモスクワ駅からウラジオストク間および周辺路線を含めてシベリア鉄道と呼ばれている。1850年代から計画が始まり、約50年かけて開通した。現在でも極東ロシアとヨーロッパをつなげる陸路交通の重要なルートである。その極東ロシアに位置するウラジオストクは、沿岸地域の州都であり、鳥取市との友好交流都市でもある。ウラジオストクの駅舎はネオロシア様式で建築され、古代ロシアの雰囲気であふれている。 砂像彫刻者:Zhang Yan(チャン・ヤン)/中国

ソビエト連邦時代

ソビエト連邦時代

1917年に起きたロシア革命とその後のロシア内戦を終え、1922年にソビエト社会主義共和国連邦がつくられた。第二次世界大戦後、ソビエト連邦を中心とする東側諸国はアメリカを中心とする西側諸国と冷戦状態にあった。冷戦は1989年に終結宣言が発表されるまで40年以上続き、その後、ソビエト連邦は1991年末に解体された。国旗のデザインは、交わる鎌と槌で農民と労働者を、その上にある五芒星で五大陸の労働者の団結をあらわしている。 砂像彫刻者:Cuy-Olivier Deveau(ギー・オリヴィエ・ドゥヴォ)/カナダ

ロシアの科学技術 -宇宙開発-

ロシアの科学技術 -宇宙開発-

ソビエト連邦時代を象徴する宇宙開発。1961年のガガーリンによる有人宇宙飛行や、1966年の探査機(ルナ9号)の月面着陸など、多くの成果を残した。その宇宙開発は、ソビエト連邦解体後、ロシアとウクライナに引き継がれることになった。宇宙開発の他にも、イワン・パブロフによるパブロフの犬と呼ばれる条件反射の実験など、世界に知られ、世界をリードしてきた研究や実験、科学技術の数々がソビエト連邦時代から現代まで受け継がれている。 砂像彫刻者:Niall Magee(ナイル・マギー)/アイルランド

ロシア・アバンギャルド

ロシア・アバンギャルド

ロシア・アバンギャルドとは、20世紀初頭に誕生し、ロシア革命以降に発展をとげる芸術運動全般のことをいう。この運動は、キュビズムに影響を受ける未来派や構成主義などを中心として広まっていった。中でも抽象的で幾何学的な表現が特徴の構成主義は、カンジンスキーやシャガールの作品にも影響を与えている。 砂像彫刻者:Enguerrand David(アンゲフォン・デイビッド)/ベルギー

ロシアの民話 -大きなかぶ-

ロシアの民話 -大きなかぶ-

ロシア民話の一つである大きなかぶ。おじいさんが一人で抜こうとしても抜けなかったため、おじいさんはおばあさんに手伝ってもらう。かぶをおじいさんが、おじいさんをおばあさんが引っ張りましたがそれでも抜けない。おばあさんは孫娘を呼んできて、手伝ってもらいますが、それでも抜けない。孫娘は犬を呼んできて、手伝ってもらいますが、まだ抜けない。犬は猫を呼んできて、手伝ってもらいますが、まだまだ抜けない。最後に猫がねずみを呼んできて手伝ってもらうことでようやく大きなかぶを抜くことができた。 かぶを抜くときに繰り返されるかけ声がリズミカルでユーモラスな民話である。 砂像彫刻者:Enguerrand David(アンゲフォン・デイビッド)/ベルギー

「岐路に立つ勇士」イリヤ・ムーロメッツと三つの旅より

「岐路に立つ勇士」イリヤ・ムーロメッツと三つの旅より

ロシアの叙事詩・ヴィリーナの中の物語。ロシアの英雄伝説の一つでもある。作品は、イリヤ―・ムーロメッツが旅の途中に、三つの分かれ道にさしかかったシーン。 そこにあった石碑には「第1の道を選べば死を得る、第2の道を選べば妻を得る、第3の道を選べば富を得る」と刻まれている。 イリヤ―は第1の道から順に進み、それぞれの道に現れる苦難を乗り越え、最後に得た富を人々に分け与えたとされる。 砂像彫刻者:茶圓勝彦(ちゃえん・かつひこ)/日本